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自分の意思

持った意思・意見が本当に自分から発生したのか、自分の中に下ろしたキャラクターによって発生していて、それに極度に共感しているのか。

共感によってしか感情を理解できない欠陥。すぐ一喜一憂して疲れる。

幼児が他人の気持ちを理解できるようになるのはある程度育ってからで、最初は自分に置き換えないと理解できないと保育系YouTuberが言っているのを聞いたことがある。
俺じゃん、って感じ。

周りに嫌われるのが怖くて思ってないふりをしているだけなのか。
意思表示をした瞬間に責任が生じるのがいやなのか。
よくない意思・感情を持っていることをプライドがあって認めたくないから見ないふりをしてきたツケが回ってきたのか。

オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム

オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームを見なかった。どちらかというと見れなかったに近い感覚。

自分の意思がよくわからなかった。

自分が見たいから見たいのか。
友達が見るから話をしたくて見たいだけなのか。
騒いでいるオタクが痛々しく見えてその一員になるのが嫌だったから見たくないのか。
お金に見合わないと感じたのか。
恋人と会う時間を削るほどではないと感じたのか。
激浅リスナー歴で参加するなんておこがましいと思ったのか。
それ故に内輪ネタがわからないのが心配だったのか。
マルチタスクができない性質を自覚しているがゆえに追っかけ再生がない不安・プレッシャーを感じたくなかったのか。
次の日の朝起きれないことが不安だったのか。

よくわからない。今なら別に迷うくらいなら、2, 3時間で3千円くらいなわけだし、配信見ればよかったのにと思う。

感覚の鋭い人が羨ましい。特にそれを言語化できる人。

僕は「普通」の人間になりたい。親の教育の影響な気がする。
親としては我が子がいじめられないためには仕方なかったと思う。

でもそれが根底にずっとあって苦しい。ラッセルが言ってたみたいに呪縛になってる。

親からの呪縛でいうと失敗への恐怖 (完璧主義と私が言っている部分) がある。
芸能人のゴシップで悪口を言われ続けてる。失敗してはならない。

芸能人がある1つの欠落があっただけなのに人間として否定されているのを見てきた。
不倫をした芸能人の出ている番組は見たくないとか、ネットで叩かれていたりとか。

だから自分が普通の人間として社会に受け入れてもらうためには全人類から嫌われないことが必要=人間として不備があってはいけない。

それが乗じて、自分の嗜好を伝えるのが苦手なのだと思う。自分の感覚に自信がない。

中3デートのときに男子3女子3のデート?みたいな何かに行ったときにファッションをいじられたこと、
同級生の父親に自分の好きな芸能人を「ありえない、見る目がない」と否定されたこと。

だから「普通」の人間になる・社会に受け入れてもらうには、自分の感覚を無視して、
社会 (もしくは属しているコミュニティー) の平均値を取るのが最適解だと考えるようになった。

それを続けてきたらそれなりに社会に溶け込めるようになったが、自分の心の聞き方忘れちゃって心を壊しかけた。自己肯定が全くできなくなった。自分の感覚を上塗りすることを続けてきたから。
大学院生まではこの方法でギリギリなんとかなっていたが、就活でさらに自分の思ってないことを自分が思ったことのように喋ることと続けた結果、完全にわけわからなくなった。

禿げた。

感覚を取り戻すために、好きと思ったものに浸かってみることにした。

カフェで朝ごはん食べてみたり。通学中、英語の勉強や論文を読むのではなく、シャーロック・ホームズを読んでみたり。レモン系の芳香剤を家に置いてみたり。

自炊をしなきゃダメだとか、研究者として生き残るには勉強し続けないとだめだとか自分で呪いをかけてたなぁ。

自己肯定感系の本に、五感を取り戻すといいよ、って書いてあった。自己肯定には5つの要素があると書いてあった。詳細は忘れたが、自己決定感がないことが問題だと思った。だから自分の意思 (だととりあえず思ったこと) を、たとえ0.01みたいなものであったとしても、自分の責任でそれを選択することを続けた。

最初はどうしても打算的なことしかできなかった。”タメ”になること。他人からの評価が上がること。ぶっちゃけコーヒーも古典名著を読んだのも動機はそうだった。趣味で話せたほうが社会で馴染める。