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ACジャパンの下記のCMをラジオでよく聴く。

SE: 包丁で野菜を切る音。
ナレーション: キッチンで夕食の支度をする人がいます。
SE: オフィスの環境音
ナレーション: オフィスで部下の資料に目を通す人がいます。
SE: レストランの環境音
ナレーション: 夜景の見えるレストランで支払いをする人がいます。
SE: 黒板にチョークで字を書く音
ナレーション: パイロットになる夢を発表する子どもがいます。
ナレーション: 想像したのは男性の姿ですか?女性の姿ですか?
ナレーション: 無意識の偏見に気づくことから、はじめませんか。
CI: ACジャパン

聞こえてきた声(全国キャンペーン)

コンセプトはわかる。そういう偏見を持っている人はいると思うから啓蒙活動としてはなしではないかなと思う。

しかし、確率論的に “よりありそうなほう” を想像してしまうのは仕方ないような気がする。

実際、現時点で年収が多いのが男性が多いことや、パイロットが多いというのは事実であり、知識のある人はそちらで想像するのも無理ないと思う。
(このことが “悪気のない偏見” と考えてのあのCMだと思うのだが…)。

可能性が低いことを排除するのは、悪いことでないように私には思える。効率的に物事を考えるためには合理的な方法だからだ。小説内の優れた探偵もよくとる手法である。

もちろんその他の可能性を完全にないと決めつけるのはよくない。しかし、多くの場合は「その方が確率が高い」と考えているに過ぎないと思う。
「AとBという条件を踏まえるとCである可能性が高い」と「AとBなら絶対Cじゃなきゃいけない」は違うと思う。

さらに、当然ながら、言葉にすることと想像することは違うとも思ってしまう。“思ってしまう” までは、仕方なく、相手を配慮してそれを発しなければ良いのではないかと。

とはいえ、実際に決めつけで不愉快になる人もいるだろうし、CMという短い時間で伝えるにはこのように少し荒っぽい表現になってしまっても仕方ないとも思う。