老い
老いが怖いと思う機会が増えた。
自分自身の魅力・存在価値は、頭の良さ () にしかないと考えている。老いるとそれらが鈍っていく。すでに鈍りつつある。
5,60代向けと思しき “老いの意味を問う本” を手に取りかけたくらい、自分としては真剣に悩んでいる。
こんな悩みを周りに打ち明けたところで、「まだ若い」と上辺だけで慰められて終わるのが関の山だろう。(同年代や少し上くらい世代の人に深刻な問題と考えている人は居ないだろうから仕方のないことだけれど)
老いることで “味” が出るから悲観する必要がないという考え方もあるだろう。
しかし、それはその人の魅力が生きている時間と比例して増幅する性質のものに限られる。たとえば、立ち居振る舞いに余裕がある人は、人生経験が増すことでその振る舞いに説得力が増していくだろう。
ほとんどの場合は魅力が減少する。判断力や体力も鈍る。この “劣化” を経験や小手先のテクニックでカバーしているように見える。
たとえば、周りの年配の方が何か問題に対処する場面を観察すると、深い洞察なしに過去の答えをそのまま流用しているだけに見えることが多い。
これには、過去に似た事例がある多くの問題を効率的に解けるというメリットがある。「歴史は繰り返す」とも言うし、パターンマッチング的なアプローチを合理的とは思う。
でも私は、「本当にそれで良いのか」と思ってしまう。過去の問題の解を覚えておいて、「今回も同じような結論だろう」といった具合ですべての問題を対処してしまう。少なくとも、頭の良さだけでアイデンティティを保っている人間が存在している意味はあるのだろうか?類似度のベクトルを出して同じ論理構造を当てはめるだけならAIでもできる。
“思考のるつぼ” に様々な知識を混ぜ込み、化学反応を起こしてこそ、価値が生まれると思う。
せっかくたくさんの知識・経験をるつぼに入れても、化学反応を起こすための炉 (=頭の良さ)が使い物にならないなら反応は起きない。
反応は起こせないから、過去の似た化学反応テンプレートを当てはめて反応を起こした結果を予測しているだけ。適用範囲内なら良いけれど、予測したい事象はどれくらい適用範囲内なのだろう。
地位が上がれば、周りからエネルギーを提供してもらって化学反応を起こす事もできるのだろうか。それは「本人の力」なのだろうか。。。
とはいえ、そんな事を考えても不幸せなので、マルクス・アウレリウス・アントニヌスも記した通り、「今を生きる」のが最善なのだろう。
と、我ながら元も子もないことを思った。このあたりでやめておこう。